闇の落し子――6――


最適な時間帯だった。
サミアはペンダントを首からはずし、開け放たれた館の扉から差し込む日の光に翳した。
日の意匠を凝らして作られた、古びた魔法道具。
それは、またの名をこう言った。
『闇殺し』と。

ペンダントの『日』の形に当たる部分は透明な石で作られている。『日の光』の形に当たる部分は硬い木でできている。『日の光』の中心が繰り抜かれ、その中に『日』である透明な石が嵌め込まれていた。
『日の光』は外側へ向かって先は丸く削られているが刺のようになっており、表面には細かい彫刻が余すところなく埋められていた。
しかし、よく見るとそれは単なる美しい装飾としての彫刻ではない。
サミアはその意味を知っていた。



自分の魔力を道具へ移して使用するのはサミアにとって初めてのことだった。
『闇の落し子』を探している途中では大して不安もなかったが、実際に使う今になって不安は激しい動機となってサミアの心を動揺させた。
緊張しているのは自分でも判っていた。左胸からは自分でも聞こえるほど、大きな鼓動が聞こえていたのだ。
少しでも落ち着かせようと深呼吸を数回する。
それで治まることはなかったが、気分的には楽になった。
『闇殺し』を右手に持ち、頭上に掲げる。人差し指と親指でペンダントの上と下を持ち、透明な石へ日の光が差し込むように位置を調整した。
満足のいく位置で右手はそのままにし、もう一度深呼吸をする。
そして次にはサミアの口からは、サランディア語のようだが少し違和感のある言葉が発せられた。
詠唱が始まった。それは、ペンダントの『日の光』に書かれた、二百年前のサランディア語による『闇殺し』を使うための文句であった。

(ウォルコット達は大丈夫かしら・・・)

ふと雑念が入り混じってきた。そこで文句は途切れてしまい、もう一度やり直しである。
ディダ、というウォルコットよりも大きな男は相当手強そうに見えた。『闇』に憑かれているために力も倍増しているに違いない。
あの二人なら大丈夫だとは思っているが、やはり心配である。
鋭い金属音が広間にまで響いてくる。無論、館の入り口は広間の先にあるのでサミアの耳にも音は入る。
しかし気を揉んでいても仕様がない。ここで自分が二人のもとへ戻っても意味がないのだ。
光のある場所でなければならない。それがこの『闇殺し』を使う条件。
そして『闇殺し』を使えるのはここではサミアだけなのだ。
再び詠唱をする体勢に入った。今度はより集中するために目を閉じる。
前には闇、後ろには光。相反するものにサミアは挟まれていた。
途切れることなく、サミアの口からは二百年前のサランディア語が紡ぎ出されていた。







空を切った錆びた大剣が、その勢いで木の壁へと突き刺さった。
木にめり込んでいるというのに、太眉の大男はそれをものともせずに力任せに引き抜いた。
壁に剣が刺さったことで武器を失ったと、少し幸運に思ったウォルコットは自分の考えが甘いことに気付いた。
目の前の、自分より背の高く筋肉も隆々としている男は恐ろしいほどの力の持ち主であった。

「へへ、どうした。さっきから逃げてばかりじゃねえか。ここの支配者様も構えてるだけかよ、フン!」

鼻息を鳴らすと同時に、ディダは今度は剣をウォルコットの頭上へ振り下ろしてきた。
図体がでかい割に素早い攻撃であり、ウォルコットの剣は広刃といえどディダのものより若干短く細い。
まともに剣で受けてしまっては折れてしまうので、ディダからの攻撃は逃げるしかなかった。
アティはウォルコットのすぐ後ろで構えてはいるが、まだ戦ってはいない。
ディダに近いのはウォルコットであるので、自然と攻撃はウォルコットが全て受けることとなってしまっていた。

「アティ!こいつのこと知ってるんだろ?何か弱点とかねぇのかよ!」
「さあな。戦ったことはあるが・・・今は『奴』の影響を受けているから普通のディダよりかは数倍強くなっているだろうな」
「何だよ、頼りねえなあ!」
「仕方のないことだ。そのことで責められる理由はない」

次第にウォルコットは苛々してきた。ディダにではなく、アティにである。
昨日からアティに色々と指摘され、嫌味に近いものを言われても大して今まで気にはならなかったが、何故か今急に腹立たしく思えてきたのだ。

「うるせえな、いったい何様のつもりなんだよ?!お前に忠告も皮肉も嫌味も言われる筋合いはねぇんだ!戦う気がないなら出ていけよ!」

アティに対する嫌悪が心の中で巨大化してきた。前で剣を振るっている敵の筈の男よりも、背後にいる黒髪の男の方へ剣を向けたくて仕方がなくなってきた。
何故だ、という問いが頭の中に浮かぶことはなしに急速にウォルコットの心の中は、今いる暗い廊下のように黒く沈んだものとなっていった。









その変化に気付いたか、アティは舌打ちをしながら後退し始めた。
依然二人の大男は争ってはいるが、時々振り返ってはアティを鋭く睨む味方のはずの男の瞳は、次第に濁っていったように見えた。
あまりにも接近して戦っていたために、『闇』の影響がウォルコットへ直にきたのであった。
会ってからまだ二日目であるが、ウォルコットは客観的には善良な男に見える。
しかし、『闇』はほんの小さな、自分でも無意識にある心の闇を膨らませてしまうことができる。
今まさに、ウォルコットはアティに対する少しばかりの怒りだったものを爆発させる寸前であった。

「ここは一度、サミアのところまで退くしかないか・・・私も捕われてしまいかねん」

だがウォルコットをどうするかで迷いが生じた。
もしウォルコットが大男ではなくて、身軽な小男であったら、戦いの隙を狙って気絶させて抱えていくことは雑作もないことだ。
アティは眼前で剣を振るっている大男を見てその方法はやはり無理だと感じた。
男の標準より背の高いアティよりもさらに高く、鍛え上げた身体が更に「大男」というのを強調している。

「仕方がない・・・」

アティは手にしていた短剣を腰のベルトに差し込む。
そして腰袋の中から、手の中にすっぽりと収まるぐらいの丸い何かの塊を取り出した。
表面は凹凸一つなくて滑らかである。色は黄金色で宝石とも見紛うほどの美しさだ。

「支配者様よ、そんな玉っころで何ができるってんだ?」

敵の大男はその様子を余裕の顔で見ていた。嘲笑を浮かべながらディダはウォルコットの剣を軽く受け流していた。
ウォルコットはもはや目の前の相手よりも背後のアティを意識してしまい、戦いに集中できていないことが誰の目から見てもあきらかだった。
早くしなければアティ自身があの剣の餌食となってしまう。
迷っている暇はなかった。

「本当はあまり使いたくなかった手なのだが・・・仕入れるのに苦労するものだからな」

丸い塊を、天井に向かって思い切り投げた。案の定、朽ちている天井を易々と突き抜けていった。
ただ、それだけだった。
ディダはまた顔を歪めて、今度は豪快に笑い始めた。だからどうした、という様子で。

「天井に穴を空けて日の光でもこいつに当てようと思ったか?ハン、ここは一階だぜ!それが貴様の奥の手か!笑っちまうぜ!!」

笑いながら、ディダは剣の打ち合いに飽きたのか隙をついてウォルコットの腹へ蹴りを入れた。
あまりの衝撃に、ウォルコットは二、三歩後退し腹を片手で抱えるようにして蹲った。
かえってそっちの方が都合がいい、とアティは思った。
そして、唱えた。

雷魔(らいま)よ、今その力を解き放て!」




激しい爆発音とともに、館中に鋭い衝撃が走った。
雷の筋が館の屋根を突き抜け、ちょうどアティ達のいる一階の廊下へ突き刺さるようにして落ちた。
轟音が屋敷中に響き渡り、木造の家は軋んで揺れる。
落雷により、二階の屋根までもを突き抜けて空いた穴は、この暗かった廊下へ一筋の日の光をもたらした。
狙ったのか偶然なのか、運良く光の当たる位置にウォルコットは蹲っていた。
斜めに差し込む光はウォルコットを優しく包み込み、明るくその一帯だけを映し出していた。

「ケッ・・・うまく光を入れられたからって俺には関係ないぞ。次はテメェの番だ!」

光が当たり、これで『闇』の影響は取り除かれるとはいえ、ディダの蹴りをまともに食らったウォルコットはまだ床に倒れ臥している。
しかしアティにはそちらの方が都合がよかった。ディダの意識を自分へ向けることができたからである。
先ほど使った『魔法玉(まほうぎょく)・雷魔』は、知り合いの魔導具研究者が作ったものだ。 魔力を有する石の中を空洞になるよう上手く削り、その中へと魔導士が魔法を唱えて閉じ込める。
そして『鍵』となる文句をつけて封印する。閉じ込められた魔法を放出するための文句だ。 その研究者がまだ作り始めたばかりの試作品であるから、どのくらいの効力があるか分からなかったが、どうやら予想通りの効果は発揮してくれたようである。 ただ、一つしか持ち合わせていなかったのでもう意表を突くことはできまい。
普通に戦っていたのなら見せられぬ、そのような魔導具を見せられてディダは興奮状態に陥っているようで、もはや床のウォルコットは目に入っていないようだった。
アティは少しずつ、ディダを視線を合わせながら後退し始めた。恐れて後ろへ下がっているのだと見せかけるように。
やがて、広間へと通じる扉へと差しかかった。後ろ手に扉の取っ手へ手を掛けて一旦そこで止まる。

「逃げようっていうのかい?貴様も本当は大したことなかったんだなあ、ハハハハハ!しかし逃がしはしねえ。貴様を殺してから俺がここの支配者だ!!」

頭上に錆びた大剣を掲げ、ディダは助走をつけて扉を背にして立つアティへ切りかかってきた。
先ほどアティが天井に穴を空けたとはいえ、扉までは明るさは届いていない。ディダはアティの後ろに扉があるということは闇のせいで見えなかったようである。
ディダが剣を振り下ろそうという瞬間、タイミングよく、アティは両開きであるこの扉の片側を開いた。
そして広間へと滑り込み、もう広間側の開いていないもう片方の扉の影へと素早く身を潜めた。
ディダがその次に広間へと駆け込んでこようとする。
敵の男は扉を潜って、そこが光の入り口のある館の玄関のある場所であることにやっと気付いた。
すかさずアティはディダの足元へ蹴りを入れる。もとより駆けてきていたので足がもつれ、大男はバランスを崩して倒れた。

「サミア、今だ!!」






ディダが起き上がるより早く、アティは彼の首筋へと短剣を押し付けていた。
急に敵の大男が飛び出してきた時には驚いたが、アティの御蔭でこれなら外すことなく目標に向かって魔力を解放できそうであった。
すでに詠唱は終え、あとは最後に魔力を解放するための文句を一言言えば、『闇』はその力に屈するであろう。
魔力を留まらせたペンダントは、強い光を帯びて中心の透明な石から今にも光が零れそうだった。
日の光は僅かながら魔力を帯びている。その魔力をペンダントへ取り入れ、術者の魔力によって光を目標へ違わず当てる。
『闇殺し』は普段は散乱している日の光の魔力を一点に集めるための道具であった。
サミアは唾を飲み込んだ。強い集中のためか額から汗が流れ出た。

「・・・光で溢れし『闇殺し』、闇を振り払え、『落し子』を滅せよ」

最後の文句が紡ぎ出される。今か、今かと待ち受けていたようだった溢れんばかりの『光』は透明の石の中を出て一筋の光となって『闇』のもとへと放たれた。
普通の光ではなく、光の魔力が凝縮されたものである。サミアは目が眩んだ。アティも短剣をディダに突き付けたまま、あまりの眩しさにもう片方の腕で目を覆った。
光が広間いっぱいに溢れたように感じた。
眩しいのは一瞬だった。次には再びもとの暗い屋敷へと戻り、目が慣れた時には『闇殺し』を使う前の体勢のままであるアティとディダがいた。

「やったのか・・・?」

アティは倒れている男を見やって、そしてサミアを視線を合わせた。
『闇』に支配されていた筈のディダは呻き声を上げて、目を手で覆っていた。
『闇殺し』の使用は成功したかに見えた。あれだけの強い光を放っていたのだから。
しかし、サミアは背筋を走る悪寒がまだなくなっていないことに気付いた。

「ど・・うして・・・」

足先から頭までを異様な寒気が襲いかかる。思わず両腕で身体を抱き締め、今起きあがらんとするディダを怯えながら睨んだ。
サミアと目を合わせた瞬間に隙ができたのか、ディダはアティの短剣を素手で握り、首筋から外させ、拳で殴りつけた。
鋭い刃に切り裂かれた手の平からは血が溢れ出てきていたが、それには構わずディダはサミアの方へとゆっくり近づいてくる。

『闇殺し』の使用は確かに成功していた。光の筋は、サミアの魔力によってディダを射止めた筈だった。
だが目の前の男は、邪悪な笑みを浮かべながらサミアへと向かってくる。
ウォルコットはどうしたのかいない。アティは殴られた衝撃が酷かったのか、腹を押さえながら立ち上がろうとしていた。が、サミアからは距離があった。

「何したのか知らねえが、俺に届かなかったみてぇだな。お嬢ちゃん、そんなに強い魔導士じゃねえとみた!」

サミアの修行不足のため、光の筋はディダのいた位置まで十分届かなかったのである。広間に光が溢れたといっても、それは光の筋が放つただの明るいだけの光。
魔力は帯びていない。筋自体がディダに当たらなければ何の意味もない。
広間が広すぎたとか、そんなものは言い訳にすぎない。道具を扱うことに成功はしても、サミアは任務には失敗した。
もう一度詠唱を行うにはディダが今にも自分に襲いかかろうとしている今からでは時間がないし、ディダを食いとめることができる仲間もいない。
もう思いつく手立てはなかった。後悔と恐怖、そして自分の力を見極められなかったことへの怒りがサミアの中を駆け巡った。

そして次の瞬間、身体が宙に浮いた。
首を締め上げられていたのだ___圧倒的な力の差。抵抗することもままならない状態。足が無意味に空を蹴っているのみ。
白んでくる景色、その最後に光を見た気がした。

「サミア!!」

アティが叫んだのか、誰が叫んだのかは判らない。
その言葉が耳に入った瞬間、サミアは意識を完全に手放していた。



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