闇の落し子――5――


大きな二つの影、そして小さな影が一つ、並んで留まっている。
日の光がまた完全に昇りきってはいない正午前に三人はおちあった。
付近には他に誰もいない。普段のこの時間なら古ぼけた衣服を纏った住民が道を行き交い、住む家もない人々が道に座り込んでいるというのに。
目の前には昨日と変わらぬ姿を見せる、木造の古い館がある。周りの競い合うかのように建っている家々の僅かな隙間から漏れ出る光の筋が、薄暗い『覚めた夢区域』を少しだけ明るくしていた。

「いよいよね・・・」

赤髪のハーフエルフ、サミアは胸元のペンダントを服の上から手探りで確認した。自分がこれから始まることの中で鍵となることは判っている。
栗色の髪の大男ウォルコットと、黒髪の美青年アティと順番に顔を見合わせ、確認するように頷く。二人の男もそれに合わせて首を縦に振った。

「おそらくこの館の中には、『奴』の影響を受けて『奴』の奴隷と化した人間がいるだろう。『奴』はそれ自身では何もできない。だから人間に周囲を守らせているに違いない」
「『奴』が何であるのかが判らない分厄介ね・・・」

アティとサミアは短く会話を交わす。それを聞いたウォルコットは、彼の特徴でもある歯を剥き出しにした笑顔を浮かべて言った。

「要するに、守られてる奴が『奴』ってことだな。雑魚は俺に任せておけ!いくぞ!!」

ウォルコットの言葉を合図に、三人は館に向かって駆け出した。狙うは正面突破、敵は何であるのか判らないのだから下手な作戦を立てても仕様がない。
今まで力を見せる機会がなくて持て余していたかのように、大男は館の扉に勢いよく体当たりした。
施錠されていた扉は元々老朽化していたこともあり、ウォルコットの力の前には何の役も果たさなかった。
扉のすぐ奥は広間のようになっている筈だった。しかし、中は完全に闇に包まれていていくら目を凝らしてみても先は見えなかった。
ウォルコットが中の様子を確認しようと一歩外から館の中へと踏み出した時だった。突如彼の腕を何かが掴み、館の中へと引きずり込もうとする。それも一つ、二つではない。腕だけでなく足にも纏わりついてきていた。

「くっ、放せ!この野郎っ・・・」

大男がそれに見合った力で思い切りもがくと、彼の手を掴んでいた何かが耐えられずに、勢いで館の外へ弾き飛ばされた。
それは人間だった。予想はついていたが、あのような闇の中で人間がおそらく何十人もいることが判り、改めてここが『闇』の棲家であることが確認できた。

「ウォルコット、彼らは元はただの人間なんだから殺さないように気をつけてよ!あんた馬鹿力なんだからっ」
「わかってらい!アティ、お前も手貸せ!」

ウォルコットは首だけ後ろへ捻って加勢を促す。アティは口では応えず頷くと、館の入り口付近でウォルコットを闇に引き込もうとしている闇の奴隷達の腕に蹴りを食らわせた。
いくら『闇』の影響を受けているといっても、『覚めた夢区域』のひ弱な住民は、支配者であるアティの強さに敵うわけはなかった。
まずウォルコットの両腕が自由になり、次には両足も自由になる。彼は急いで館の入り口から一歩引いた。
闇の奴隷達は、薄暗いとはいえ光の当たっている外へは出てこれないようである。

「思っていたより人数が多い。この付近の住民ほとんどがこの館にいるな」

アティは舌打ちをして館の奥へと視線を走らせた。殺してはいけない敵ほど厄介なものはない。
殺すより、気絶させることの方が余程難しい。しかも相手が多数なほど難しさは増す。
どのようにこの館を攻めるか悩んでいる時、三人の背後から苦しそうな呻き声が聞こえてきた。何事だ、と三人は同時に後ろを振り返る。
そこにはウォルコットが先程振り払った勢いで館の中から飛び出してしまった痩せた男がいた。
男は頭を振り、地についた時に打ったらしい頭を擦りながら起き上がった。

「あ・・れ・・・・?俺は何でこんなところにいるんだ?」

男は今の自分の状況が把握できないかのように辺りをキョロキョロと見回し、額に手を当てて悩んでいる様子だ。

「・・・・・あの男の感情が元に戻っている・・・」

その男を見てアティは言った。サミアとウォルコットは顔を見合わせて、そしてまた痩せた男を見る。

「あっ・・・アティ様!!」
「気付いたか。お前何も覚えていないのか?」
「あっしにも何がなんだか・・・気付いたらここに寝てたんでさ」

アティが『様』付けで呼ばれることによって、やはりここに支配者であることをウォルコットとサミアは再確認した。あまりに痩せた男の腰が低いので、アティの強さを自然と物語っている。
この場は下がっておくように痩せた男に言ってから、アティは少しだけ笑みを浮かべてサミアとウォルコットに話しかけた。

「『光』に当たることによってあの男は元に戻ったようだ」
「・・・ってことは、他の人達も外へ連れ出せば元に戻るってことよね?」
「そういうことになるな。だが深く『奴』の影響を受けている者はペンダントがなければ無理かもしれぬが・・・」

三人は同時に頷く。まずウォルコットが再び入り口の、闇の奴隷達の手が届くか届かないかぐらいのところで
立ち、腕だけ闇の中へ侵入させた。
思ったとおりウォルコットの腕に人の手が絡み付いてくる。あまり数多く掴まれると引き込まれかねないので、二、三人人引っかかったところで大男は力任せに腕を引いた。
すると三人の男がウォルコットに腕にしがみ付いたままで外へ連れ出された。光を浴びて彼らは気を失ってしまった。
男らをサミアは館前の通りに並べて寝かせておく。ウォルコットは再び入り口へ腕を入れて、何人かを連れ出していた。アティもウォルコットと同じようにその作業に取り掛かる。
サミアはこういう時に、自分の力のなさを痛感する。二人とも男で、身体を鍛え上げているからそんな二人と比べるのは愚かかもしれないが。
代わりに魔法が使えるといっても、魔導学院を中退した身だ。魔導士見習がいい身分だろう。
だがこんな所でこのようなことを考えていても仕方ないことは判っている。頭を横に振って、今自分に出来ることをしなければと言い聞かせた。

「サミア、今何人出した?」
「ええっと・・・四十人ほどかしら」

土が踏み固められた薄暗い通りに、衣服の薄汚い男女が並べて寝かされていた。ある者はすでに目が覚め、最初に外へ引っ張りだされた男と同じように辺りを見まわして顔に困惑の色を浮かべていた。

「中の人数が減ってきたみたいなんだ。中の様子を確認したいから光の魔法かなんかで明るくできねえかな?」

また一人、中から中年の女性を引きずり出しながらウォルコットはサミアに呼びかける。

「ええ、判ったわ」

跪いて、闇の奴隷となっていた人々を寝かせていたところだったがサミアは立ちあがって、館の入り口付近へ近づいていった。
二人の男はサミアが来ると入り口の真ん中を空けて場を譲る。
深呼吸をして心を落ち着かせ、集中する。口から唄うように魔法を行使する言葉を紡ぎ出す。

「我を守りし光の蝶よ・・・・・」

少々長い詠唱の最後、その言葉の後にサミアの手の平の上に金色に光る蝶が姿を現していた。
魔力を帯びた光の蝶は、りん粉の代わりに魔力の光を撒き散らしながら、ひらひらと舞い闇の中へと吸い込まれていった。
蝶の小さな身体の割には、館の中は明るく照らし出された。入り口すぐの広間にはまだ数人闇の奴隷達がいる。急に現れた光る蝶の眩しさに目がくらんだのか、目を手で覆っているのがほとんどだ。
奴隷達がうろたえている隙に、ウォルコットとアティは中へ侵入し残りの奴隷達を外へ押しやっていった。
その間にサミアは用意していた松明に火をつけ、広間の所々にある蝋燭台へ炎を移していった。
集中を解いたことにより、光りの蝶は既に消えていた。しかしその代わりに赤く燃える炎が広間全体の様子を浮かび上がらせた。

「よし、雑魚どもは片付いたな。あとは『奴』の居場所か。サミア、何か感じるか?」

ウォルコットは最後の奴隷を外に押し出して両手をパンパンと叩く。ようやく一息つくことができたというところだ。溜息をついて見せているが、あれだけの人数を引きずり出しておきながら息切れも何もしていない。
ウォルコットがサミアにそう聞いたのは、魔導の心得のある者は『闇』を感じとることができるからである。ウォルコットもアティも魔導の心得はない。ここからは彼女の感覚を頼るしかないのだ。

「ここには特に感じないわ。もっと奥の方か、二階なのかもしれない」
「よし、それじゃまず二階に行ってみるか」

ウォルコットがサミアの手から松明を受け取り、先頭に立って階段を登っていく。次にサミア、アティの順だ。
大きな館の割には階段は狭く、大人二人がやっとすれ違うことができる程度しかない。
外装と同様に内装も古ぼけてしまっていて、階段を一段上がる度に木の軋む音が響く。
二階には部屋が四つあった。もしかしたら中にまだ奴隷達がいるかもしれないので用心しながら扉を開く。
しかし、二階のどの部屋ももぬけの殻であった。誰一人としていなかった。そして『闇』の気配もない。

「ここにいないということは、一階の奥だな」

アティが今度は自分が先頭になろうと、ウォルコットから松明を受け取る。階段を下り、再び広間へ戻った後に広間の奥にある大きな扉へ手を伸ばした。
扉はウォルコットより少しばかりでかく、幅は大人一人が両手を広げたぐらいであった。両開きの扉だったので、片側をアティが用心深く押し、開いていく。
扉の向こうは長い廊下になっていて、手入れがされていないのか白い埃が床に積もっていた。
廊下の両側にある燭台に火をつけながら進んでいく。明るくなっていくごとに、この廊下の様相がより鮮明に浮かび上がっていく。
天井には蜘蛛が巣を張り、獲物が懐に飛び込んでくるのを待っている。廊下の隅にはよく見ると小さな穴が開いており、突然の侵入者に驚いた鼠がそこへ潜り込んでいた。

「不気味ねぇ・・・本当に『奴』がいるのに相応しいといっていい感じよね」
「そうだな」

サミアはウォルコットの服を掴みながら廊下を進んでいた。話しかけたというか独り言というか、つい口をついて出た言葉に返された返事に・・・少々違和感を覚えた。

「?ウォルコット、埃が喉に詰まったの?」
「は?俺何も言ってねえけど・・・」
「それじゃアティ?」
「私はあんな掠れたな声はしていない」

三人は顔を合わせ、そして今度はまだ火が灯されておらず暗い廊下の奥へと目をやった。
自分たちの中の誰のものでもない足音が前方から聞こえてくる。ゆっくりと、サミア達の方へ近づいていた。
誰かがいる。
この館の中で三人以外の誰か、ということは闇の奴隷もしくは『闇』そのものということに間違いはない。
ウォルコットがサミアを庇うようにして一歩進み、腰から広刃の曲刀を抜く。アティも短刀を両手に持ち、いつでも応戦できる体勢を整えている。

「サミア!」
「ええ、判ってるわ!」

ウォルコットが頼む前にサミアは詠唱を開始していた。先程の光の蝶が再びここへ現れ、三人の前方に進んでいく。
照らし出されたそれは、人間の男だった。体格はウォルコットと同じく筋肉質。おそらくウォルコットよりも少しばかり背は高いだろう。
髪はなかった。おそらく剃ってしまっているのだろう。眉は黒く太く、光る蝶が目障りなのか蝶が動くたびにそれが上下に動く。

「・・・あいつは知っている」

アティは自分が相手をすると言わんばかりにウォルコットよりも二歩前に歩み出た。口の端は僅かに上がり、皮肉めいた笑みを浮かべている。
その笑みは目の前の男に向けられたものだった。

「『奴』とは俺のことかい?」
「最近見ないと思ったらこのようなところに潜んでいるとはな。じめじめした貴様にはお似合いだ、ディダ」
「フン、俺は貴様を倒してここの支配者になるんだ。多くの住民は既に俺の支配下になっているからな、あとは貴様を殺すだけだ!」
「貴様の、ではなくて『奴』の支配下、だがな・・・なるほど、今日来る時に住民の姿を見かけないと思ったら、光に当たらぬよう家に閉じこもっているというわけか」

ディダと呼ばれたその男は、今までの人間のように虚ろな目はしていなかった。
それは『闇』から受けた影響を自分の物とした証拠であった。また、深く影響を受けたために、日の光の下に出ただけでは元には戻れないということも意味していた。
ディダが近づいてくるとともにサミアは妙な悪寒を背に感じた。凄まじい魔力、それも心地の悪いことこの上ない。
身体が無意識のうちに痙攣してきて、魔法のための集中が解ける。光の蝶は一瞬で消えてしまい、再び炎で僅かに照らされた闇の廊下に戻っていた。

「あ・・いつ・・・・たぶん『奴』が中にいる・・・」

震える身体を抑えようと両手で自分の身体を抱き締めるが、それは気休めでしかなかった。
ウォルコットがサミアを振り返り、その言葉と様子からディダが『闇』であることが判った。
『闇』が人間に直接入り込むという可能性を考えていなかったために、アティは舌打ちをして目の前の大男を睨みつける。

「元からいけ好かない奴だったが『奴』に気に入られて欲望に狂ったか・・・」

気味の悪い大男は舌なめずりをして、背負っている大剣を鞘から抜き出した。きちんと手入れをしていないせいか刃は曇り、所々に刃毀れをきたしている。しかし炎の灯りの下で見えるその剣は、新品の煌く剣より遥かに不気味であった。

「私とウォルコットがディダを引きつける。サミアは『奴』を消滅させる準備をしていてくれ!」
「うん、判った。どうにか入り口まで連れてきてね!」

『闇』を消滅させる道具のペンダントを胸元から出し、それを握り締めながらサミアはもと来た扉を擦り抜けて光の入り口となる館の玄関まで戻っていった。
緊張と不安がサミアの頭の中で入り混じり、それは汗の形となって彼女の全身を取り巻いた。ペンダントを握る手にも汗が滲み出る。

廊下からは剣同士の合わさる鋭い金属音が響いてきた。今、戦いが始まったことを意味していた。




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