闇の落し子――4――


男は待っていた。
息を切らせて辿り着いた先は―――サミアやウォルコットにとってはなんてことはない、ただ他の家よりは大きな木造の屋敷であった。

黒の男を追いかけてこの場所まで一時も休まずに駆けてきたので、一度立ち止まると胸は激しく上下し始めた。
横の大男は自分ほどまでに息を切らせてはいないようだった。
少し悔しい気がしたので、サミアは無理に息を落ち着かせようと胸に手を当て、深く息を吸い込んでは吐く。
屋敷を背にして立っている黒の男は、何も言わずに自分を追いかけてきた大男と少女の息が整うのを待っているようだ。
敵なのか味方なのかは判らない。
しかし相手がどうであれ取り戻さなければならない。男が右手に握っているペンダントを。

「・・・それ、返しなさいよ」

ようやく普通に話すことができるまで落ち着いたサミアは、情けないと思いながらも黒の男に言う。
男はそこで初めて笑みを浮かべた。片方の口端を引き上げて、嘲笑したように見えた。
ウォルコットが再び何かを怒鳴りそうに口を開いたが、相手を刺激するだけだと思い、サミアは彼の服を引っ張りそれを制した。
しかし。
「返そう」

短い答えの後、黒の男は少女から奪った古いペンダントを放り投げた。
弧を描いて寸分違わずサミアの手の中へそれは戻ってきた。
日の意匠を凝らして造られたように見えるそれは、誰が造ったのかは定かではない。ただ、『闇の落し子』を消滅させるためだけの道具。
思ったよりあっさりと返されたので拍子抜けしたが、だったら何故すぐに返さなかったのかと次の疑問がサミアの頭の中に沸いてくる。
何故こんな場所まで連れてきたのか。
そしてこの男が何者なのか。

「君の聞きたいことは大体判る。私の名はアティ。ここの区域の、今のところの支配者だ」

男は十歩ほどの距離があるサミアとウォルコットとの距離を詰めようとゆっくりと前に踏み出した。

「『今のところ』ってどういうこと?」

アティ、と名乗った男が自分たちの方へ近づいてくるのを見て反射的に一歩下がる。もうペンダントは返してもらったのだからこのまま去っても構わないのだ。
そうしなかったのは、この男がこうして自分たちをここに連れてきたわけである。どの道返すならこのようなところまで連れて来なくてもよいのだから。

「この区域はブロスリアンドの法が通らないに等しい。完全に強者が弱者に勝つ。私はこの区域での頂点に立っているだけだ。頂点に立った者がこの区域の支配者となる。それが私たちの法だ」
「それは判った・・・が、何でそんな奴が俺たちに何のようなんだ?ペンダントを奪ってまでここに連れてきたってことは何かあるんだろ?」
「君は思ったより馬鹿ではないな。もう少し冷静でいることを覚えたほうがよさそうだが・・・」

喉を鳴らして笑うアティを見てウォルコットは顔を赤くして何か言おうとしたが、相手の思うつぼだと考え直して口を噤んだ。
サミアは不謹慎だと思いながらも、その忠告には吹き出しそうになってしまった。

「無礼は詫びよう。だが時間がなかった。手早く君たちを連れてくるにはあの方法が有効だったのだ」

黒の男はようやく本題に入ろうとした。サミアとウォルコットも男の表情が少し憂いを含むものとなったのを感じた。






アティの話は、今この東地区で起きている異変についてだった。
特に『覚めた夢区域』では、犯罪は日常茶飯事となっていたのだった。実際の報告よりはるかに件数は上回っていた。
アティは現在の『覚めた夢区域』の支配者として度を越した悪事は許していなかったが、その命令に背くものが日が経つにつれて増していったということであった。

「今私の命令を聞くのは、私が支配者であることを認めている者たちだけだ。この区域は常に強者が勝つ。次の支配者を狙う者は数多い・・・」
「ということは、ほとんどが敵に回ったっていうこと?」
「そいういうことだ。私は独自に調査した。そして辿り着いたのがここってわけだ」

男は首だけを背後の屋敷へ向ける。二階建ての屋敷はその大きな身体で周りの建物を日の光から遮っていた。
建てた当時は立派な屋敷として人々の羨望の的になったであろうが、今ではすっかり汚れてしまい塗料は剥げ、不気味な雰囲気を漂わせている。

「ここにいるらしい。大勢の奴らがここに入っていくのを私は見た。・・・・・奇妙なことに、敵と思われる奴らはとても虚ろな目をしている。感情をどこかに忘れてきたようにな。それが共通点だ」
「だからさっき『感情が正常だ』だとか言ったのか」
「そうだ。君たちの目は普通の人間の目をしていたからな」

アティはサミアとウォルコットの瞳の中を交互に覗いた。やはり、心の中まで見抜かれそうな鋭い目だと二人は感じた。
この男は只者ではない、と思わせる何かを持っている。そんな気がした。

「でも、だからといって何故私たちをここに連れてくる必要があるの?」
「・・・・・君のペンダントの意味を知っているからだ。私はそれを持つ者を探していた」

男の言ったことは驚くべきことであった。『アーク』の人間なら誰もが知っていることであるが、『アーク』以外の人間はおそらくほとんどが知らない。
『闇の暗躍時代』に造られた、『闇』を葬るペンダントだと誰が気付くだろうか。
知っているとしたら、それは森の片隅で語り継がれていく間に嘘の入り混じった大陸の歴史や伝承を伝えている老婆の言葉を真剣に聞いている者か、サミアのように人間より長命の種族出身の者が幼い頃に親から枕元で話してもらったのを覚えている者だろう。
だが前者に関しては極稀なことであるし、後者はアティには当てはまらない。彼は姿は完全に人間であるので他の種族であることは考えにくい。
それに、そのような道具があると分かっていても実際の形状などは伝わっていないのだ。

「どうしてそれを・・・」
「それについては今は黙っておこう。聞かれてはまずいもの、なんだろう?」

確かにそれ以上をここで言うわけにはいかなかった。言いまわしからして『アーク』の存在も知っていそうな様子も伺われ、男を問い詰めたい気持ちはあったがまずは任務の方が先である。
『闇の落し子』を消滅させるペンダントのことを知っている、ということは『闇の落し子』についても何かしら知っているに違いない。

「要するに犯罪が増えた原因が、『それ』ってことだとあんたは思ったわけか」
「そうだ。その少女がしているペンダントを見て『それ』を消滅させに来たのだと判った」

サミアとウォルコットはお互いに顔を見合わせた。考えていることが同じだということを確認するかのように頷く。

「・・・じゃあ俺たちに協力してくれってことか?」
「そういうことだ」

それなら早く言ってくれよ、とウォルコットは大袈裟に溜息を一つ吐く。
サミアもそれは同感だった。自分たちを襲ったのは敵かもしれないと思ったのだから仕方がないにせよ、その後すぐに教えてくれればよかったのにと思わざるを得ない。
ペンダントを奪われ、必死になって追いかけたおかげで早くこの屋敷に辿り着けたにしても、もう少し違うやり方がなかったのかと考えてしまう。
そんな二人の様子を少しも気に留めずに、アティはもとからきつい印象の視線をますます鋭くして再び屋敷を睨んだ。

「私は、私より力のある者がここの支配者になるのは構わない。だが『あれ』は別だ。『あれ』は人間を狂わせる・・・」

遠くを見つめるようにアティは建物の間から覗く空に視線を移した。時は既に夕刻。昼間は透き通るような青い色をしていた空も、今では美しい橙色の空に変容していた。

「さっき時間がないって言ったわよね?どういうことかしら」

気を取りなおしてサミアは黒の男に問う。
空から目を戻して、アティは頷いた。

「この区域の者ほとんどが敵に回ったと説明はしたな。・・・放っておけば『あれ』の被害はこのまま進む。ここよりはまだ被害の少ない東の住宅街も犯罪は顕著になるだろう。早く手を打たなければならないのだ」
「あそこに『奴』がいるんだろ?だったら今から殴りこもうぜ!」

ウォルコットがまかせろ、といわんとばかりに腕に力瘤を作って見せた。

「・・・君はやはりもう少し冷静になった方がよさそうだな」
「なんだとっ!!」

黒の男はわざとらしく溜息をついてみせた。そして手を上げて夕焼けの空を指差す。
それにつられてウォルコットとサミアも橙色に染まった空を見上げた。

「今は夕刻。じきに日が沈む・・・『あれ』にとっては夜の闇は最大の味方。そこに殴り込むなど自殺行為に等しい。本当は今日中に仕留めたかったのだが仕方がない」

大きく盛り上がっている力瘤がサミアにはその時虚しく思えた。
うな垂れるウォルコットの横で声を出して笑う。アティも口端が多少上がっていたので笑っているように見えた。

「じゃあ明日決行ね。よろしくアティ」
「ああ・・・・・」

握手をしようと差し出した手に応えようとした時、アティが口篭もったのに気付き、サミアはまだ自分がしていないことに気付いた。

「私はサミアよ」
名前を告げると、アティもその名前を確認するように口に出した。
「よろしく。俺はウォルコットだ」

もう立ち直ったウォルコットが、自分もと手を差し出す。それにアティは口端を上げて笑い、硬く手を握り返して応えた。





日は時により街を違う顔に映し出す。
今は橙の時、そして日が空に存在しない時は闇が街を支配する。
闇の時刻は近づいていた。
まだ闇に染まらぬ者達の去ったその場所で、『闇』はその時を待ち切れないかのように蠢いていた。




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