闇の落し子――3――


闇の子 人から出でて 人でなきもの
光に抱かれなば 光に消え 
闇に抱かれなば 深きものとなる
闇の族 闇の子を抱き 内に住まわせ
地の人ども 闇を恐れ 夜も眠れず・・・・・





人の間では今は記憶の彼方に忘れ去られた詩が滑らかに紡ぎ出される。
一節が終わったところでサミアは首から下げている古びたペンダントから目を離して顔を上げた。後ろから何かが自分の方へ向かってくるように足音が近づいてきたからだった。
ペンダントを服の中へしまい、後ろを振り向こうとすると、そこには自分のよく知っている姿があった。

「ウォルコット!・・・何やってるの?」

まさかこのようなところでウォルコットと会うとは思っていなかったのでサミアは目を見開いて背の高い男をまじまじと見つめた。
その問いに人の良さそうな大男は笑って赤い髪のサミアの頭を軽く叩きながら答える。

「手伝ってやろうかと思ったんだよ。お前が初仕事でピーピー泣いているんじゃないかと心配で心配で・・・」
「泣いてなんかないわよっ!」

頭の上にあるウォルコットの手を首を振ってかわすと、目つきを鋭くして自分を小馬鹿にした大男の顔を睨みつける。
だがそれも一瞬で、すぐに少女の顔は頼りなげな表情に移り変わった。

「マスターに言われたの・・・?」

首を真っ直ぐに戻すと、膝の上にある自分の手の甲を見て俯いた。
自然と手に力が入る。
自分一人に仕事を任せられないとマスターに思われたのだろうか、と。

「いや、俺の独断だよ。だから仕事の内容も知らねえし、俺が勝手に手伝おうとしてるだけだ」
「でも任務は他の人に教えちゃいけないし・・・」

戸惑っている少女をおいて、ウォルコットはベンチの前方に回りこんで少女の横に座った。
本来は三人掛けの筈の木製ベンチは男の身体が標準より大きいせいで二人掛けとなってしまった。

「――――そこまで言うなら教えるけどよ。本当は」

急に真顔となったウォルコットにサミアも吊られて真剣な表情となる。

「・・・『闇の落し子』探索、俺も命じられたんだよ」

サミアの耳に口を寄せて、周りに声が漏れないように気を使いながらそう告げた。

「っていうか、『裏の仕事』担当の人間は他に何も任務を預かっていない時は、本来の仕事であるこの仕事をやるってだけなんだけどな。魔導の心得がない奴は魔導を使える奴の身の守りなんかしてな」
「本来の仕事ってことは・・・じゃあ別にこの仕事って『裏』の人間にとっては秘密でも何でもないってこと?」
「ああ、この仕事はな。元々『アーク』の目的がそうだったんだから当然だろ?」

ウォルコットの答えにサミアは急に気が抜けてしまい、ベンチから少しずり落ちる。張り詰めていた気が弾け飛んだように顔の表情も緩んだ。

「マスターもそうなら言ってくれればいいのに」

深く考えれば分かることだったかもしれないが、つい若い女マスターへの不満が零れ出る。

「そういうことだから。せっかくだから一緒にやろうぜ?もし戦闘なんかになったらお前一人じゃ危ないだろ?」

俺にまかせろ、と大男はサミアの目の前で腕を曲げ、筋肉の瘤を作って見せた。
それが見せかけでないことはサミアは十分承知していた。ブロスリアンドで年に二度、『闘士決定戦』という大会が行われるのだがウォルコットは以前その大会に出場して準優勝になったほどの強さの持ち主だ。

「フフ、分かったわ。でも奴はこの魔法道具しか効かないんでしょ?ウォルコットの出番ないかもね」
「ひでえなあ。俺がお前を守ってやるって言ってるのに『嬉しい、やっぱり頼りになるわね』ぐらい言ってくれよ」

いじける振りをする大男を尻目に、サミアはベンチから立ち上がった。
少し気が楽になったような感じがする。やはり自分も初仕事ということで気負いすぎていたのかな、と気付く。
言葉には出さないがウォルコットには心の中で感謝した。
ひらけた水場に降り注ぐ明るい日に向かって腕を伸ばし、背伸びをする。

「さ、行こウォルコット!」
「どこへだ?」
「とりあえず、犯罪が起こった現場に行ってみよ。私何ヶ所か見たけど街の奥まではまだ行ってないから」

サミアは水場から伸びている狭い通りを一つ選び、そこへ駆け出す。それを見てウォルコットも慌ててベンチから立ち上がって追いかける。
二人の姿は向かい合う木造の住宅の間へと吸い込まれていった。





現場、といっても殺人などが起こったわけでもないので何もないだろうというのは予想はついていたが―――やはり本当に何もないと、もしかしたら何かあるかもしれないと思っていただけに落胆する。
それが回数を重ねれば重ねるほど心にも重い石が積み重なる。
何回目の溜息をついただろうか、サミアとウォルコットは犯罪の起きた十数ヶ所目の現場に立っていた。

住宅街東地区の東端、城壁を挟んですぐ隣は深い森のあるその地域はブロスリアンド開拓時代最初に開拓された場所である。
よってその地域は特に建物は古く、入り組んだ区域となっている。
最初に開拓された区域といえば聞こえはいいが、建物が古くて嫌だとか森がすぐ横にあるからと不気味がる人々は商店街へ近い方へと住む傾向があるので、今では老人や住む家のない浮浪者達の溜り場と化していた。
ほとんど犯罪のない東地区では例外的存在で、普段人々は目を逸らしてしまっている部分である。この区域を治安の良いとされている東地区の一部とするのも嫌がる住民も多い。
この区域で、このところの犯罪は一気に三倍ほども増したという。
報告があった数に過ぎないので、もしかしたらこれより数は多いのかもしれない。
普通の人々は決して近づこうとはしない東地区東端、何か手がかりが得られないものかと二人は来てみたのだが。その希望は崩れ去ろうとしていた。
証拠が一つもない。ありすぎて分からないといった方が正しい。
普段から犯罪の多いこの『覚めた夢区域』での犯罪は、それが『闇の落し子』に本当に関連しているのかが分からない。
たまたま増えただけなのかもしれないのだから。






「・・・今ちょっとウォルコットがいてよかったって思ったかも・・・・・」

サミアは無理に笑顔を作って男の大きな背に隠れた。
ウォルコットは少女を庇うようにして立ち、腰に差している広刃の曲刀に手を掛けていた。
調査している最中にいつの間にか何者かに取り囲まれていたのだった。
いつもなら警戒を怠らないウォルコットもこの時は計算違いだったようで、舌打ちをして曲刀を引き抜いた。

「何だか分からねえが・・・話を聞いてくれそうにはねぇな。サミア、援護頼むぜ!!」

サミアが自分の後ろにしっかりいることを確認してから、ウォルコットは罵声をあげて木の家の影に隠れているであろう人間達に脅しの意味で切りかかった。
無論、向こうがこちらに対抗するならそれに応じるつもりである。
サミアは少しの間だけどうしたらよいのか戸惑ってしまったが、ウォルコットが切りかかった一人と剣を合わせた時に心を決めた。
しかし「援護しろ」とは言われたが実戦は初めてのことなのでうまく頭が働かない。
どうするのが一番いいか悩んでいるうちにウォルコットは二人同時に相手をしていた。
それを見て、サミアは決めた。

「我に従えし風の獣よ・・・」

少女の口から、一般人には聞き慣れない言葉の列が発せられる。それは歌のようでもあり、詩のようでもある。
しかし正しくは―――サミアの前に突如出現した小さな風の渦が物語った。
それが現れたのを確認してサミアがまた一言、何か呟く。
風の渦が自然にできたものでないことは明らかだった。
少女の呟きに呼応したかのようにそれは動き出した。
ウォルコットと対峙している二人の他に、更に出てきた二人の敵の前に風の渦が風の壁へと変化して二人の行く手を遮った。
敵が自分の仲間の前にできた風の壁に驚いた隙に、ウォルコットは一人みねうちをくらわし、もう一人は腹に拳を入れ気絶させた。
そしてサミアに魔法の効果を消してもらい、風の壁のせいでそこから動けなかった二人の懐に飛び込んで当身をくらわす。
あまりにその勢いが強かったためか、二人は壁に背を打ち付けてうめきながら地に座り込んでしまった。
気配を消して近づいてきたわりには思ったより簡単に敵が倒れてしまったので、かえってウォルコットは驚きの色を隠せなかった。

「なんだ、こいつら弱いじゃねえか。ビックリさせやがって」

姿は見えないが、まだ建物の陰に潜んでいる敵が怯んだように感じた。
大男は少しつまらなそうな顔をして周囲を見渡した。サミアが何も敵に襲撃を受けていないことも確認し、胸を撫で下ろしたところだった。

しかし次の瞬間、ウォルコットとサミアは暗く先の見えない小道に向かって身構えた。
足音が聞こえたからだった。
一人のものであるらしく、近づいてくる足音は一定だ。サミアとウォルコットに隠すつもりはないらしい。

「お前達何者だ?」

声質からして男のものであろう。低くてよく通る声だった。
まだ姿が明らかでないうちから相手は質問を大男と少女に向けた。
ウォルコットは厳しい表情で同じ質問を暗闇の中へ返す。

「それはこっちの台詞だぜ。お前らこそ何なんだよ!」
「・・・・感情に特に異常はない」

ウォルコットの質問には答えずに、陰の中の男は一人納得したように呟いた。
その声とともに敵全体の緊張が解けたようにサミアは感じた。

黒い革をなめして作られた靴が光の下へ出る。
急に明るい所へ出たのが眩しかったのか、声の主は手で目をかざしながらその姿を現した。
男は一言で言えば、美形だった。しかし、本人はそれを生かすつもりはないようである。顎にまばらに生えた不精髭がそれを物語っている。
女性でも羨むぐらいの白い肌、その左頬にくっきりと刻まれた怪しげな文字の入墨。
切れ長で、相手を見透かすような黒い瞳。闇に溶け込んでしまいそうな漆黒の髪。
そろえたかのように身に着けている衣服も全て黒である。黒ずくめの男はサミアたちと五歩ほど距離をおいて歩みを止めた。

「何しにこの街はずれまで来た?」

ウォルコットがサミアの前にいたためか、男は自分より少しだけ背の高い大男に向かって聞いた。

「その前に俺の質問に答えてねえだろっ!お前らなんなんだよ、いきなり襲ってきやがって!」
「弱かったんだろ?だったらお前より弱かった人間、ただそれだけだ」
「ちげーよ!!俺が言いたいのはっ・・・」

ウォルコットが声を張り上げて黒い男に突っ掛かるが、完全に男は彼を無視した。

「そこの赤い髪の君、何しにここへ来たんだ?」

今度はサミアに対して男は質問をした。ウォルコットがまだ男に向かって叫んでいるがお構いなしといった感じだ。

「おいっ!聞いてるのかよ?!」
「私はそこの子に聞いているんだ。君は感情を高ぶらせすぎる。私は正確な情報が欲しいんだ。黙っててくれたまえ」

男はウォルコットの横をその瞬間に通り抜けサミアの前へ近づいた。あまりにその行動が素早かったために大男と赤髪の少女は口を開いて何も言えなかった。

「わ・・・・私たちはちょっと迷ってただけよ。東地区って分かりにくいじゃない」

黒髪の男はサミアを見据えた。髪の色より深い印象を与える黒の瞳が少女の心の内まで覗こうかとするかのように観察している。
明らかにウォルコットが倒した奴らとは違う、とサミアは感じた。
漆黒の瞳に見つめられて握っている手に汗が滲み出てくる。
嘘は通じないのではないか、とさえ思ってしまう。

「そうか・・・なら商店街まで案内してやろう」

とっさに口をついて出たでまかせを信じたのか、男は背を向けて元来た道へ入って行こうとした。
しかしサミアが安心し、胸に手を当てて溜息を吐いた時、それがないことに気付いた。

「ただし、これがいらないというのなら・・・だがな」

サミアが事に気付いたのを察してか、男は背を向けながらそれを見せ付けるように宙に揺らした。
それはマスターから預かった、『闇の落し子』を破壊させる道具であった。

「いつの間にあいつっ・・・返せよ!」

ウォルコットはサミアが言うより早く叫び、男を追いかけようと走り出していた。
気付かない内にペンダントを盗られ、怒りというより驚いてしまったサミアも、ウォルコットの声で我に返り、後を追う。
おそらく、ウォルコットを無視して自分に近づいてきた時に盗られたと考えられた。
任務で一番重要な物をこうもあっさり盗まれたことが悔しくなり、情けなくもなった。

男は二人が走って追いかけてくるのを振り返って見ると、自身も駆け出した。
薄暗い『覚めた夢区域』の入り組んだ小道をまるで自分の庭のように軽やかに通り抜けていく。
その後を大男と赤い髪の少女が男を見失わないよう全力で駆け抜けていく。
追っているだけなのでどこを走っているのかも分からずに。
周りの古い木造の住居から何事だとちらほらと顔が覗く。面白がって一緒に走り、ついには息切れをしてついていけなくなった子供もいた。

(どこへ行くつもりなの?)

サミアは心の中で黒の男に問いかけた。答えは当然返ってくるわけはない。
とにかく追いかけなければ答えは出ない。
サミアは男の背から視線を離さずについていくしかなかった。



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