闇の落し子――2――


住宅街は非常に入り組んだ造りになっている。
大通りに沿って歩いているときはいいが、一度細い路地裏に入ってしまうと目印でもつけない限り慣れない人間では迷路の中にいるような錯覚に陥るかもしれない。

「全く、どうしてこんなに分かりにくく家を建てるのよ・・・」

赤髪のハーフエルフの少女、サミアは重い足取りを止めて大きな溜息をついた。住宅街は初めてではなく『表の仕事』で何度か来てはいる。
しかしその時は依頼者の案内や目的地までの地図があったのであまり問題はなかった。
今は依頼者も詳しい地図もない。目的物はあっても目的地はない。目的物も何処にあるのか、またはいるのかさえ分からないのだから見つけるまで歩いて探すしか方法はないのだ。
迷っているわけではなかった。きちんと道一つずつを確認して歩いてきている。だが道自体この住宅地にいったい何本あるのか正確な数は分からない。
サミアがこの住宅街で調査を開始してから三日が経っていた。その間、一日のほとんどを調査に費やしている。建物の細い道を歩き、しかも目的物を見つけようと視界の隅々まで見渡して、怪しいものがないか確認しているので余計に疲れている。

「確かこの先に水場があったはずだわ・・・そこで休憩にしようかしら」

この住宅街の大まかな地図(水場と目印になるような建物の名前しか書かれていない)を広げて、もう一度歩き出した。




水場は公共のものである。標準で、大人十人が手を繋いで囲めるほども大きさの井戸を中心に、ベンチや露店までも出ているところもある。個人で井戸を所有している者には必要ないが、そうでない者の方が圧倒的に多いので、水場に水を汲みにくる人は絶えない。自然と人の集まる場所となった水場は、住宅街に住む人々の交流の場所でもある。
サミアが着いた水場は、ベンチが五つほど置いてある標準より小さ目の水場だった。サミアはそれを確認すると少しだけほっとする。人の多い所が正直いって苦手であるのだ。
水場にしては珍しく人一人もいない。空の木のベンチに腰掛けて溜息をついた。
三日間歩きづめだったので疲れが溜まっているのか足がだるい。体力には自信があったサミアだったが、自分が思っているほどなかったことを嫌でも痛感する。
建物の隙間を通り抜けていく風が心地良く水場へ流れ込んでくる。
時折サミアの真っ直ぐな赤い髪を空中に遊ばせては去っていく。



静かな、木の家が立ち並ぶ区間。サミアには何も変わっているところがないように見えてしまう。

「『闇の落し子』なんて本当にいるのかしら・・・」

口に出してからサミアは慌てて自分の口を手で塞いだ。そして頭を左右に振って誰もいなかったか確認する。

「よ、よかった」

胸を撫で下ろしてサミアは息を吐いた。自分は『裏の仕事』に就いているのに任務の一部を口に出してしまうなんて、と拳で自分の頭を小突く。

『闇の落し子』――――サミアはマスターから告げられたその言葉を思い返していた。









「簡単に言ってしまえば・・・本当に言葉通りよ。『闇』が生んだ手先のようなもの・・・・・・」

質素な木の机を挟んでサミアとマスターは向かい合っていた。机上の蝋燭の炎が二人の顔を明るく照らし出している。サミアの赤い髪はとりわけ、赤く燃えるように薄暗い空間に映えている。
二人はマスターの仕事部屋にいた。他には誰もいない。
それもそのはず、この部屋はマスターが組織の部下に任務を与える際に使うのがほとんどであるからだ。任務はマスターと当事者のみ知る、徹底した秘密主義のもと行われる。
任務の多くが危険で、かつ街や国までも恐怖に陥らせる可能性が高いので、人々の知れることとなっては不味いのだ。
組織内部にスパイがいる可能性も拭えない。人材はマスター本人が見極めているのだが完全にいないとは言いきれない。だから組織の人間にも秘密主義を貫き通しているのだ。

「『闇の落し子』は、それ自体には人を傷つけたりするような力はないの。・・・でもある特殊な能力があるわ」
「特殊な能力?」

サミアはそのまま聞き返した。マスターは頷くと、話を続ける。

「人々の中の・・・暗く沈んだ闇の部分を増幅させる力を持っている。憎悪、怒り、嫉妬・・・誰でも心の奥底に持っているものをね」

マスターは胸の前に手の平を当てながら話し、しばらく沈黙した。音の漏れることのないこの部屋の中はいっそう静まりかえる。蝋燭の芯がちりちりと焦げていく音だけが室内に響くのみ。

「それが人々の心に知らぬうちに影響を与えていたら、どうなるかは見当はつくわよね?」
「・・・・・・・はい」

『闇』の心が増幅されたとしたら・・・それを思うとサミアは背筋がぞっとした。そういった感情は普段は理性で抑えられているものだ。しかし『闇』の部分を抑えることができないくらいに増幅してしまったとしたら、『闇』は目的を果たすまで消えることはないだろう。
例えば特定の人物に恨みを持つ者は、その人物を殺すまで満足しないかもしれない。最初は殺そうなど思っていなくても、『闇』が増幅されたことによってそう思うようになってしまうかもしれない。
人間の心の『闇』は計り知れない。普通に生活していてもそのような人間は稀にいるのだ。しかし、『闇』の影響が、一般に良識あると言われる人間にまで広がってしまったら・・・とんでもない騒動・争いに発展する可能性は大いにある。

「・・・その『闇の落し子』を見つけ出して消滅させるのがあなたの仕事よ。『闇』は何の形で現れるのか分からない。過去、動物だったこともある。小さな虫のこともあったわ。でも共通しているのは、全てが「生き物」ということ。そんな奴だからこの任務は一人ではなく数十人で行っているの。サミアもその中の一人としてやってもらうわ」

いいわね?とマスターは切れ長の目を広げてサミアの瞳を覗き込んでくる。嫌とは言わせないという視線のようにサミアには感じられた。
正直、「数十人の中の一人」というのに少々不満を感じたからそう思ったのかもしれない。もしかしたら自分が仕事を果たさずに終わってしまうかもしれない任務だからだ。他の数十人の中の一人の手によって。それではつまらない。
そんなサミアの心の内を知ってか知らずか、マスターは顔の表情を少しばかり緩めて言った。

「元々はね、この『アーク』は『闇』から人々を守るために組織されたのよ」
「えっ・・・・・」

サミアは驚いてマスターの視線と自分の視線を合わせた。その中心でちょうど蝋燭の炎がゆれることなく明るく燃え続けている。







『ブロスリアンド・アーク』は『アーク』の支部のうちの一つだ。『アーク』とはこの大陸中に広がる地下組織である。その仕事は「表」と「裏」にはっきりと分かれている。
「表」は簡単な人助け程度のもので『アーク』に入って間もない者や、そちらを望んでいる者が担当している。「裏」は「表」と違い危険な仕事が多く、依頼者のほとんどが街の有力者や貴族、時には王族ということもある。
依頼は全て「マスター」という支部の責任者を通して受けるか否かを決定される。決定の要因となるものが、それが真に人々のためになるかどうかという『アーク』の信念である。だから「マスター」に課せられる責任は重く厳しい。裏切り者が出た場合もマスターが責任を被ることにもなる。
そのように『アーク』は人々のための組織というのが基本となっている。その起源は約200年前に30年ほど続いた「闇達の暗躍時代」に、『闇』に対して立ち向かった者たちの組織――とはいってもたった十数人のグループであるが――である。多くの人々を『闇』の力で暗殺し、大陸中を恐怖で震え上がらせた『闇の一族』から人々を守るために組織されたのであった。

『闇の一族』の力については不明なことばかりで、今もストラスクライドにあるクライド魔導学院では研究が続けられており、時に激しい論争となることがある。
『闇の落し子』は『闇の一族』が造り上げた魔法の生き物である、というのが有力な説であるが実のところ分からないことが多いので仮説に過ぎない。
「闇達の暗躍時代」に造られた(とされる)ものが今になっても出現する。何故、と問われても答えられる者はいない。『闇の一族』は滅びたはずなのだから。
幸い『闇の落し子』の消滅方法はわかっている。見つける度に『アーク』の者が消滅させているので一般の人々の中では問題になることはない。人々はそのような存在がある、ということも忘れてしまっていることだろう。時々詩人の唄う詩の中に出てくるのを架空のことのように扱い、流し聞いているといったように。
人々を影から守る組織『アーク』は、今ではあらゆる困り事を解決に導く『何でも屋』であるが、元は『闇』から守る組織なのである。





「知らなかった・・・」

サミアは簡単な『アーク』の起源を聞かされて、胸に何か詰まる思いがした。

「『闇達の暗躍時代』のことは母さんや学院の先生から聞いたことあったけど、もう今では全然関係ないと思ってた・・・」

少しだけ、握った拳に力が入る。任務に多数のうちの一人として選ばれたということはすでに忘れているようにやる気が湧いてくる。本来の仕事が『闇』から人々を守る仕事なら、一番重要な仕事なのでは?と思えたからだ。

「『闇の落し子』の判別は魔導の心得がある人物でないとできないの。私は心得がないから分からないのだけど・・・「感じる」そうよ。強い魔力を感じると皆が言ってたから。他の何者とも違う魔力をね。サミアは学院に行っていたから大丈夫よね」
「行ってたけど・・・退学しちゃったから魔導士としては未熟だよ。それでもいいの?」

少しサミアは顔をマスターから背けた。魔導の名門、クライド魔導学院へ入学したはいいものの、二年ほどでやめてしまったことがサミアの中では恥ずかしいことだった。自分は逃げたんだ・・・と学院の話題が出る度に落ち込んでしまう。

「大丈夫よ。簡単なある道具を使うのだけれど、それを使うのに自分の魔力を道具に移さなければならないの。だから魔導の心得があって自らの魔力を解放できる人なら、ね・・・」

学院の話となって俯いてしまったサミアを見て、マスターは思い出すように遠くを見つめた。サミアも部屋の壁を通り越して過去を見ていた。

「ううん・・・もういいの。それなら私にもできるってことよね?早く道具を見せて!」

急に顔を上げてマスターの憂いの表情とは反対の明るい笑顔を見せる。それがサミアなりの「気にしないで」というサインということをマスターはよく知っていた。
サミアの笑顔に合わせてマスターも口の端を上げて笑みを作る。

「わかったわ・・・」

マスターが机の引出しの鍵を開ける。その動作を見ながらサミアの胸中は初任務への期待と不安、そして過去の失念が一緒に混ざり合っているのだった。



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