闇の落し子――1――


数日前から街の東でちょっとした犯罪が起こっていた。
そのどれもが窃盗、他愛の無いいざこざから生まれた喧嘩ばかりだったが、普段は静かで治安の良いと言われる住宅街である東地区では珍しいことだった。

炎のように鮮やかな赤が、茶色の木で建てられた建物ばかりの住宅街に一際映えている。
サミアは背中まで伸びた赤い髪を風に遊ばせながら歩いていた。赤い髪が珍しいのか少女の出で立ちが変わっているのか、行き交う人々は必ずといっていいほど彼女を振り返った。
サミアはこの住宅街を皮鎧で武装した姿で歩き回っていたのだ。商店街なら国の兵士や冒険者たちが多く立ち寄るところなので珍しくもなかった。
静かな住宅街で武装した少女が一人でいる。しかし武器らしいものは一つも身につけていないようだった。
強いていえば、細い皮を幾十にも巻きつけている腰に短刀がささっているのみである。
何より、少女の風貌に人々はより関心を示した。日の光に照らされてより明るく燃えるような赤い髪が背中まで真っ直ぐに伸ばされている。
肌の色は透きとおるように美しく白い。四肢は細くしなやかで、無駄な肉がついていない。
人間離れした美しさを持つ少女だった。そしてすれ違った何人かは気づいたかもしれない。
風で浮かされた髪の下に、微かに尖った耳の先を。

皆が自分を見ていることを彼女は分かっていた。しかし、サミアにとっては羨望の眼差しも奇異な者に送る視線も、ハーフエルフだと軽蔑する視線も全てが同じに思えた。
自分が他と違うから見られる、ということには変わりがなかったのだ。
普段なら少々いらいらしながら歩くところだがこの時だけは違う思いに心を占められていたのであまり気にすることはなかった。

(そうよ。私は今「仕事」をしているのよ。初めての「仕事」なんだからがんばらなきゃ!)

心に喝を入れて周囲の様子を見る。睨む、という感じであったかもしれない。
サミアは全神経と研ぎ澄ませながら『それ』を探していた。









世界地図でいうなら、東に位置するアヴィリオ大陸と、西に位置するセルヴァーグ大陸を結んだ中心より南に位置するところに、サランディア大陸がある。
サランディア大陸は三つの大陸の中では最も小さな大陸だ。島というよりは大きいが、最も大きなアヴィリオ大陸と比べてもその面積は五分の一にも満たない。
サランディアには三つの国が興っている。大陸を縦に割って、その北西に位置する魔導の国ストラスクライド、北東の森に囲まれたブロスリアンド、ブロスリアンドの南に位置する森と湖の国レツェン。
サランディアの南半分であるロアーツ地方はいずれの領地かは決定されていない。
そこは到底人間は入ることの不可能な密林であり、古大陸時代の産物の眠る恐ろしき地として人々には噂されていた。

ブロスリアンドはストラスクライドから生まれた国だった。
元々広大な森林のみの地方であったブロスリアンドは人の手によって開拓されたのであった。現在森林はストラスクライドとの国境とロアーツ地方方面に残るのみで、開拓された部分、つまり人々の住む街は森林の静けさとはうって変わって賑やかなものである。
ブロスリアンド王国がストラスクライド王国より独立してからしばらくは、従属の問題などで戦も頻繁にあったらしいが、最後の抗争より二百年後の今では大きな戦はなく平穏に時は流れていた。

ブロスリアンド王都ディナンは王国最大の人口を持つ。元は開拓民の街であったために、計画によって建てられた建物は少なく、形も大きさも全く違う建物がひしめき合って建っている。
森林に囲まれた国であるからか、石造りの家より木造の家の方がはるかに多い。ストラスクライドは反対に石造りの家がほどんどである。
おそらく初めて隣の国へ行く者は、隣であるのに違いすぎる文化に驚くばかりであろう。

そのディナンの中心ともいえる商店街の片隅に、周りの建物よりもいっそう古い木造の店が構えられている。
地味で目立たなく、何を売っているのかは外からでは分からない。ただ、扉に貼り付けてある羊皮紙に『困っている方のお手伝いを致します』と書いてあるだけだ。

(自分がここのメンバーじゃなかったら怪しくてこんな店入れないわよねえ・・・)

サミアは店の中のカウンター奥側で椅子に座り、何をするでもなく呆けていた。店の中は大人が十人ほど入れば狭く感じるほどの狭さである。
壁は全て天井まである本棚に埋め尽くされていて圧迫感があり、照明も明るいとは言い難く、より不気味な店と化している。
店内にはカウンターの他に三つほど小さなテーブルがある。客が来た時に使うテーブルであるが、三つもいらないのではないか、とサミアはよく思う。
客が来ないわけではない。所謂『何でも屋』であるこの店には、自分では手に負えない困ったことがあったら駆け込んで来る人々が確かにいる。
子供が危険な森の奥で迷ったり、街中で火事がおこり巻き込まれた人の救出をしたり・・・しかし年がら年中そんなことがあるわけではない。それに大抵の人はこの店に頼むより、出来ることは自分や近所の人たちとなんとかしてしまうものである。
開拓民の頃からのこの国の人々の特徴か、困った時はお互い様の雰囲気がとても強く周囲の人々が協力してくれるので、店に頼らない、もしくは店を知らないという人も多い。

だが、確かにこの店は必要だった。この店というより、この店を経営している組織を、だ。

「私も早く『裏の仕事』してみたいなあ。ウォルコットなんて私と二つしか違わないのに『裏の仕事』ばかりだし・・・私だって・・・」
「俺がどうかしたか?」

長い間油を注していないだろう木の扉が軋んだ音をして開かれた。それと同時に歯をむき出しにして笑っている背の高く体つきのいい男が入ってきた。
男は客用の椅子にお構いなく座り、テーブルの上に背負っていた薄汚い荷物入れの布袋を置いた。

「何でもないわよ・・・いいわね、ウォルコットは仕事が忙しそうで」

布袋を横目で見やりながらサミアはカウンターの奥にある樽についている栓に手をかけた。木製のコップを蛇口にあてて栓をひねる。
たちまちコップは香り高い麦酒で溢れた。

「おっ、気が利くねえ」
「誰があなたの為にと言ったかしら?」

 サミアは意地悪く言うと、コップの縁を口に近づけて今にも飲まんとした。それを見てウォルコットが思わず立ち上がってカウンターへ身を乗り出し「あぁ〜〜!!」と声を上げているが、カウンターを挟んでいるので見ているしかない。
 本気で悲しそうな顔をしている大男を見て、サミアは思わず吹き出してしまった。

「もう、私がお酒苦手なこと知ってるでしょ!いつも引っかかるんだから・・・」

ツン、と香る麦酒の匂いに顔をしかめながらカウンターの上になみなみついだ麦酒入りコップを置く。待ってましたとばかりにウォルコットはそれに飛びつき、一度で全て飲み干してしまいさらにおかわりをねだった。
半ば呆れ顔でサミアは空になったコップに再び麦酒を注ぐ。

「それで、今回はどこまで行ってたの?随分長くなかった?」
「あ〜、今回はちょっとな・・・・・・ってコラ。俺たちの仕事が仲間にも機密事項多いって知ってるだろ」
「だって暇なんだもの。少しぐらい聞かせてくれたって」
「駄目ったら駄目だ!・・・・そうだ、その変わり・・・」

いつもウォルコットが『仕事』から帰って来た時にするやりとりをしている途中に再び扉が開いた。サミアとウォルコットは同時に扉へ視線を向ける。
サミアの顔がパッと明るくなり、ウォルコットの顔が緊張で引き締まる。

「マスター!」

二人の声が重なって、扉を開いて入ってきた人物に向けられる。マスターと呼ばれた、スラリとしている人物はその呼びかけに微笑んで応じた。

「サミア、ご苦労様。ウォルコットも帰っていたのね」
「えぇ、つい今帰ってきたところです」

サミアの時とは変わって、ウォルコットは石の塊のようになり、直立不動で答えていた。マスターはウォルコットより二周りも背は低く、身体も華奢である。胸元が明らかに大きく膨らんでそれが身に纏っている皮鎧からも見てとれる。
マスターは女性だった。長く緩やかに波打つ金の髪を後ろで一つにまとめ、背に流している。目鼻が整っていてどこか高貴さを感じられる顔立ちをしている。
熊とも素手で戦えるのではないかと思える大男が、自分よりもはるかに小さなその女性相手に緊張して石のようになっているのは誰の目から見ても滑稽だった。

「そう、後で報告をして頂戴。それからサミア・・・」

マスターがサミアを振り向いて目を合わせる。『表の仕事』で何か新しい任務でもあるのかな、と思っていた。

「後で私の部屋に来なさい。私室ではないわ、仕事部屋へよ。それじゃ私はこれからまた仕事があるから・・・」

それだけ言うとカウンター奥にある扉を開けて去っていった。その奥にはサミアやウォルコットたちの本拠地がある。マスターはその本拠地の自室で書面の仕事をしに行ったか、別の外への扉を開けて現場へ行ったのかしたのだろう。
 
サミアとウォルコットはマスターの足音が遠のき、完全に聞こえなくなるまで黙っていた。ウォルコットが溜息とつくとサミアも我に返り、マスターに言われたことの意味を思い返した。

「もしかして・・・もしかして!」

 先ほどまでの退屈でつまらない、と重苦しかった心が途端に浮き上がった気がした。もし自分が考えている通りであるならば。

「サミアも『裏の仕事』デビューってことか」

 その答えを先に一緒にいる男の口から発せられる。

「そうよね?ウォルコットもそう思うわよね!」

通常『表の仕事』の任務は多くがこの店で指名され任される。他人に聞かれても良い任務がほとんどだからだ。
しかし『裏の仕事』は組織内でも機密事項となるようなばかりのものだ。時にはある貴族のスパイとなることもあるし、政治に関わる仕事もあると聞いている。サミアはよく知らないが、『裏の仕事』はとにかく責任が重く、重要な仕事ということだけは理解していた。
だから『裏の仕事』の任務を言い渡されるときは決まってマスターの仕事部屋であった。そこだけは声が外に漏れぬよう内壁に特別な加工をし、更に念には念を入れて、魔道士に部屋全体に音が決して外には聞こえないよう特殊な魔法をかけさせている。
そのような事情があるので同じ組織内でも仲間がどのような仕事を任されているのかは『表の仕事』以外は分からないのだ。
『裏の仕事』をして初めて組織内で一人前と認められる。サミアは待ち望んでいたことの到来に胸が震えた。
どんな任務なのだろう、と期待と不安が一緒になってサミアの心を揺り動かした。

「まだ分からないけど、とりあえずよかったな。お前『裏の仕事』したいしたいっていつも喚いてたし」

ウォルコットはあまりにも喜ぶサミアを見て苦笑し、麦酒を一口飲んだ。ほどよい苦さが口の中に広がる。
素直にサミアの『裏の仕事』デビューを喜ぶことができないのは、ウォルコットが実際いくつか『裏の仕事』を経験しているからだった。
経験しているとはいえまだ十九歳のウォルコットは、年配のメンバーに比べたらまだまだであるが、『裏の仕事』の苦さは分かる。
麦酒のように心地良い苦さではなく、虫を噛んでしまったような苦さを。
『裏の仕事』は、サミアの思っているほどいいものでもないし格好良くもない。重要な仕事であることは間違いないが、それゆえに汚い仕事をすることもある。
しかしウォルコットはそうサミアに伝えることはしなかった。サミアが自分で経験し、そこでどうするのかを考えて先のことを選べばいいと思った。
先程マスターが来る直前に出しかけた、手に握っていたものを一瞬見やってからズボンのポケットに押し込んだ。今回の任務の途中で手に入れた土産だったが、なんとなく出しづらくなったのだ。

そんなウォルコットの様子を知らずにサミアの心は初任務の想像に心は占められていた。早く夜にならないかと窓の外を見たりカウンターの中で行ったり来たりする。

「浮かれすぎてヘマすんなよ」
「失礼ねっ、少しは喜ぶとか応援してくれたっていいじゃない」

しているさ、と言葉を呑み込んで半分以上残っていた麦酒を一気にあおる。
(だが心配の方が先なんだよ)
ウォルコットは心の中で呟いた。






「麦酒サンキュ。俺もう行くわ」

カウンターに空になったコップを置いてウォルコットはテーブルの上に置いておいた布袋を背に担ぐようにして持った。そしてカウンター奥の扉――マスターが開いたのと同じ扉の取っ手に手をかける。

「ウォルコット、そういえばさっき何か言いかけてなかった?」

サミアがコップを片付けながら思い出したようにウォルコットの背に向かって聞く。

「・・・そうだったか?忘れちまったよ。それじゃ、またな」

そう?と特に疑問を抱かないサミアを背にし、扉の向こう側に出る。その先には短い廊下があって、組織のメンバー(主に『表の仕事』担当者)が詰めている部屋が二部屋ある。
その部屋への扉には目もくれず、ウォルコットは行き止まりの廊下の壁に手を当てた。すると何もなかったはずの壁がくるりと回転し、その向こう側には地下への階段が長く続いている。

(また・・・サミアの『仕事』が終わった時でいいか)

階段を一段降りると、魔法の照明が横の壁穴から足元を照らし出す。ウォルコットはその先にある自分の「家」のある場所へと帰っていった。




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