闇の落し子――7――


薄らと見えるものは何か?
やけに白い光だけが目に飛び込んで来るような気がした。

「大丈夫?サミア」

聞き慣れた凛とした美しい声が、意識を失い、今目覚めかけていたサミアの耳に心地良く滑り込んできた。

「サミア!」

次に聞こえたのは、これも聞きなれた男の声だった。声を聞いただけでも自分を心配しているということが判る。
朦朧としていた頭の中が、呼びかけられる声の刺激によって次第にはっきりしてきた。
頭を何か柔らかいものを枕にして寝ているらしかった。
首が何やら痛む。手で首の周辺を探ってみると、余計に痛みが増してきた。

目の前にいたのは、安堵の微笑みを浮かべて自分の顔を覗きこんでいるマスターだった。
頭の下が柔らかいのは、マスターが膝枕をしてくれているからだった。

「あれ・・・マスター・・・私・・・」

サミアは首を支えて上半身だけ起き上がった。そして今気付いたが、周りにはウォルコットやアティ、それにアークの他のメンバー達が数人。心配そうにしている者もいれば、サミアに関心の無さそうな者もいる。
場所は、つい先ほどまで自分がいた筈の古い館の目の前であった。
その館の開け放たれた入り口には・・・あの髪のない大男がうつ伏せになって倒れており、アークのメンバーに囲まれていた。
確か、首を締められた筈だった。サミアはもう一度首を擦ってそれが事実だということを確認する。
首を締められて以後のことは何も覚えていないので、自分は気絶していたのかとようやく納得した。
しかし、何故ここにマスターがいるのか。何故他のメンバーもいて、敵のディダが倒れているのか。

「どうしてマスターがここに?あいつは何で倒れてるの?」

サミアの質問を聞いて、マスターは苦笑を浮かべていた。
それを見てとったウォルコットがサミアに近づいて、説明を始める。

「俺が昨日マスターに、『奴』はここにいるって報告入れたからな。これは仕事なんだから当然だろ?だけどお前がそれを知ったら怒ると思ってよ・・・『初仕事の邪魔しないでよっ!』とかなあ。」
「い・・・言わないわよっそんなことっ・・・・」

あながち外れていなかったであろうウォルコットの予想に、サミアは言葉が詰まった。図星を指されて顔が赤くなる。
自分が任務を絶対に果たしてみせると決めていた。ウォルコットやアティという味方がいても、最終的に『闇の落し子』を滅ぼすには自分が重要なのだということに浮かれていた。
しかしこれは自分だけの任務ではない。『アーク』全体の目的であるのだ。
それも判っていたのに報告を怠った。
成功していたなら良いものの、ウォルコットもアティも『闇』に憑かれたディダに敵わなかった。
自分は力不足のために『闇殺し』を使うことに失敗し、首を締められ気絶する有様。
そして最後には潜んでいた『アーク』の仲間に助けられたのだ。
なんとも情けない結果に俯いて赤面するしかなかった。

「マスター達がすぐあいつに『闇殺し』使ってなかったらお前ヤバかったんだぞ。首もすっかり痣になっちまってよ・・・大丈夫か?それ」

ウォルコットは腰を下ろしサミアと同じ視線の位置になると、白い首元にくっきりと浮かび上がった赤い痣を不安げに見つめた。
しかしそんな痣のことよりも、サミアにとっては今回の自分の行動によって愚かな結果をもたらしたことの方がよほど重要だった。

「・・・マスター、私って未熟だったんだね。せっかく『裏の仕事』担当に移るチャンス貰えたと思ったのに」

俯きながらポツリと呟く。
早く『裏の仕事』をやりたい、一人前になりたいと思っていたのに。
悔しさからか、目頭が熱くなってきた。だが、こんなところで涙を流すのは恥ずかしいので拳に力を入れて堪える。

「な、泣くなよっ!俺だって『奴』の影響くらって最後には倒されてんだもんな・・・力には自信あったのにショックだぜハァ・・・」
「泣いてなんかないわよっ!ウォルコットの馬鹿!」
「くっ・・・いくら何でも馬鹿はねぇだろうよぅ・・・俺はお前を励まそうと・・」

ウォルコットが自分の情けなかった部分を話に出して、サミアのショックを和らげようとしてくれているのは判ったが、どうも長年一緒にいるせいか憎まれ口が先に出てしまう。
だがほんの少し気が楽になった。ウォルコットもあまりその様子は見せてはいないが、力で負けたのは余程ショックだったに違いない。
マスターがそんな二人のやりとりを見て表情を緩めた。そして、立ちあがり皆に聞かせるように次の指示を出した。

「私はここに残ってこれから調査を行う。三、四人ついてきて欲しい。他は戻っていいわ。サミアとウォルコットも帰りなさい」

いいわね、と二人は念を押された。本当なら調査にも加わりたいが、自分達の今回の失敗を考えるとそう言い出せるわけはない。
ウォルコットとサミアは立ち上がると、マスターに挨拶をしてから、「家」のある商店街外れへと戻っていくことにした。



最後に、『アーク』のメンバーとは離れた場所に立っていたアティの元へと近づいていく。
初めて会った時と同じように、彼は口の端を僅かに上げて笑みを浮かべていた。

「悪かったな。俺たちあんまり役に立たなかったみたいでよ」
「そうだな・・・と言いたいところだが、私も同じことだ。結局はディダ__『奴』の力に屈したのだから」
「アティはこれからどうするの?」

サミアの問いに、アティはフッと笑った。

「今までと同じ、ここで暮らすだけさ」

それではな、と言うが早くアティは館の正面に走る道を通って去っていった。姿は暫くの間見えていたが、建物の陰に隠れたのか道を曲がったのか、そのうちに見えなくなってしまった。

「結局何者だったんだろうなあいつ」
「さあ・・・今度会った時に聞いてみれば?」

この迷路のような『覚めた夢』区域でまた会う時があるのかは判らないが。そうだな、とウォルコットは頷いた。

「じゃあ帰るか。帰ったら反省会だ!」
「嫌よ。どうせお酒飲んで文句たれてばっかなんだから一人でやれば?」
「何だよ付きあってくれよ〜」

いつもの調子に戻りながら、アティも通っていった館の正面の道を二人で歩いていく。
日は正午から少し傾いた時間。戦っていた時刻が正午頃だったのでそんなに時間は経っていない。
だが、なんとも長い昼に感じられた一時だった。
眩しくて直視できない日が空高く上っている。

今回、自分の未熟さが露呈した初任務だった。悔しかったが、それがよく理解できた。
これからどうするべきか決めなければならない。先ほどは涙が出そうなほど落ち込んでいたが、不思議と日を見ていたら心は落ち着いてきた。
『闇の落し子』を滅ぼすことのできる日の光の魔力・・・今、サミアの心の中の悔しさ、自分への怒りのような気持ちが日の光の魔力によって中和されたのかもしれない。
あの明るい光を見ていたら落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
まだこれからがあるじゃないか、と。















調査を他のメンバーに少しの間だけ任せて後を追った。
そうに違いない、と心の声が言っていたから。
彼が歩いて去ったのが幸運だった。走っていけば十分追いつくことができた。

「アティ・・・いえ、アティトラン。こんな所にいたのね。てっきり国外へ出たものかと思っていたけれど・・・」

背を向けて前を歩く姿に声をかけた。
その男は、声を聞いて立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

金色の細い髪を束ねた『アーク』の女マスターは、先ほど『闇』のいた古い館でその姿を見て目を疑った。
服装や顔の入墨など、風貌は変わっていたものの、間違えるわけはなかった。
美しい顔立ちや漆黒の髪。そして鋭い双眸は決して変わっておらず、あの頃のままであった。

「君がやはりマスターになったんだな」
「ええ。あなたが『アーク』を抜けた直後、前マスターが亡くなったのよ・・・私とあなた、どっちがマスターになるか噂されていたけれど、あなたはその気がなかった」

アティは目を細めて、マスターの話を肯定するかのように微笑んだ。サミアとウォルコットが知っている笑みとは少し違った笑みだった。

「今も戻る気はないの?前マスターはあなたの腕を高く買っていた。私もそう・・・」

また戻って欲しい、とマスターは手を差し出した。無理なことだと判りながらも。
アティはそれを見て再び笑みを浮かべた。今度はいつも通りの口の端だけを上げた皮肉めいた笑みを。
そして手を取る___が、握手をするためではなかった。
マスターの手を取ると手の甲を上にし、そこへそっと唇を寄せる。
時間が一瞬だけ止まったようにマスターには感じた。
唇の当たっている部分だけが焼け付くように熱く、そして心地がよかった。

手から唇が離れると、何も言わずにアティは背を向けて再び歩いて行った。
追うことはできなかった。ただ、永遠の一瞬に感じられた手の甲の温もりを確かめるように握り締める。

「・・・あなたも私も、自分の行く道を行く・・・そういうことよね?」

もういない、かつて同じ道を歩んだ男に答えのない問いを投げかける。
そして彼女も男の進んだ方向に背を向けて駆け出した。
今やるべきことは、あの館とディダという男の調査。
後を一度も振り返らず、若き女マスターは狭い路地を駆け抜けていった。
























首元につけられた痣が消えかかった頃、サミアは「店」にいた。
『闇の落し子』との戦いから数日は、休息を取るようにマスターに言われていたので大人しくしていたが、やはり「店」にいるのが落ち着くので完全に治ってないながらも『表の仕事』である店番を以前と変わりなくしていた。

「よお、今日は店にいるって仲間に聞いたから来てやったぜ」
「な〜にが『やった』よ。あんたの目的はこれでしょ?」

ウォルコットが扉を開けて店に入ってくるや否や、サミアはカウンターの上に麦酒がなみなみと注がれた木のコップを置いた。

「よく判ってるなあ。今日は久しぶりに『表の仕事』してきたんだよ。屋根の修理に借り出されたんだけどいや〜日の光が暑くって喉乾いちまったぜ」

カウンター前の椅子に腰を下ろすと、勢い良く麦酒を一気に煽る。そして空になったコップにすかさずサミアは二杯目を注いだ。
サミアもカウンター奥側にある店番用の椅子に座り、ウォルコットと顔を合わせる。
何かを言いたそうにもじもじしているのが、長年の付き合いからウォルコットには理解できた。

「何だ?酒でも飲みたくなったか?」
「違うわよっ!もう・・・・・・あのね、私この前の任務で自分がまだまだなんだなって思ったの。だから・・・」
「もう一回魔導の勉強したいってか?」
「えっ、よく判ったわね」

目を丸くしてウォルコットを見つめる。
気のいい大男は二杯目の麦酒も一気に煽ってからにっこりと微笑んだ。

「なんて言ったってお前とはずっと一緒にいるからなあ。何となく考えてることは判るよ」
「そっか・・・マスターにはもう言ってあるの。来期からまたクライド魔導学院に行くってね。もう中途半端にやめたりしないわ。戻ってくる時はウォルコットが手を借りたくなるぐらいの魔導士になってやるんだからねっ」

ウォルコットの癖でもある、力瘤を作る姿勢をとって楽しそうにサミアは笑った。
そんなサミアを見て、ウォルコットもサミアが次の目的を持ったことが自分のことのように嬉しかった。
そして、ここへ寄った本来の目的であったことを思い出す。

「これ、やるよ。再入学祝いってことでな」
「再入学ってなんかそれ・・・ちょっと馬鹿にしてない?・・・まいっか。何?これ」

ウォルコットが腰の革袋から取り出して置いた、布の包みを手に取った。
薄汚れた包みを剥がしてみると___サミアには知るよしないが、採れるのは非常に珍しい紅水晶のかけらがそこにはあった。
手の平にすっぽり収まるほどの大きさの、薄桃色をした水晶。その美しさにサミアは息を呑んだ。

「ほら、前にここでお土産がどうとか言ってただろ?あの時渡しそびれたから」
「いいの?貰って。すっごい綺麗ね!ありがとうウォルコット!」

満面の笑みを浮かべて紅水晶を角度を変えて見たり、照明の光に当ててみたりして喜んでいるサミアを見て、ウォルコットは眩しそうに目を細めていた。

「魔導学院、がんばれよ」
「うん!」

初任務は失敗だったけれど、サミアはこの数日でそれはもう気にしなくなっていた。
元々の立ち直りやすい性格のせいもあるが、自分の今しなければならないことが判ったから。
学院へ戻ったら今度は卒業するまでここには帰らない。そう心に誓った。

日の光がようやく店内に差し込む午後の刻。
暗く何を売り物にしているのか判らない「店」に、珍しく明るい笑い声が響き渡っていた。



   back