魔導学院――1――


鮮やかな赤い髪を見て、自分の周りがざわつくのをサミアは感じていた。
赤い髪、そして髪の中から少しだけ突き出た先の尖った耳に、周囲の視線が突き刺さる。
七年前と全く同じ反応に、サミアは心の中で苦笑を浮かべた。
ハーフエルフは、何処へ行ってもまずは人々の視線に晒される。一歩自分の住処を離れればそれを否が応にも感じざるを得ない。
『アーク』の中にいた時は、『アーク』のメンバーはサミアがハーフエルフだからといって差別するようなこともなかったので気にすることがなかったが、外の世界ではそうはいかなかった。
人間とエルフは基本的に仲が悪い。それは昔ブロスリアンド開拓時代に、エルフの故郷であった森を人間が無差別に切り開いてしまったからだった。
エルフたちは森を守るために最後の手段として、残された森に人間を受けつけぬ結界を張り巡らした。それが『結界森』と呼ばれる、ストラスクライドとブロスリアンドの国境ともなった森である。
『結界森』は人間とエルフの間の溝を表した実例となった。そして開拓時代を境に、人間とエルフは決して相容れない存在という意識が生まれたのだった。
しかし、稀にエルフと人間との間に子供が生まれることもあった。
サミアはエルフの父と、人間の母の間に生まれた数少ないハーフエルフの一人である。

「よし、がんばろっと」

一人呟いて、サミアは自分の背の倍以上はある石造りの豪華な門を潜り抜けた。
すると、懐かしい景色が一気に目の中へ飛び込んできた。
生き生きとした芝が一面に広がる中庭、その中心にある創立者クライドの石造、中庭の両側に左右対称に建てられた二階建ての教室棟、門の正面に見える学院生は立入禁止の研究室棟・・・全てが変わっていなかった。
クライド魔導学院___ストラスクライド王国王都マリンにある、サランディア大陸の中で最も偉大な魔導の学校として、知らぬ者はいないと言われる___サミアはそこへ足を踏み入れていた。
しかし初めてではない。七年前に入学し五年前に中退するまでの二年間、サミアは学院で魔導を学んでいたのだ。
あの時のように途中で諦めたりしない、とサミアはブロスリアンドを出発する前に心に誓っていた。

入学の手続きを済ませ、サミアは自分の担当となる教師のいる教室へと足を進めた。
西棟の一階、一番奥の部屋がこれから自分が学ぶ教室となる。
美しく磨き上げられた石造りの廊下を早足で進んでいく。
途中、やはりサミアの風貌に足を止めた学院生が何人かいた。
これが当たり前の反応であるので、大して気にすることはなかった。

「あの赤い髪のハーフエルフって・・・」

あともう十数歩で教室、というところで聞いたことのある声をサミアは耳にした。「ハーフエルフ」という言葉が聞こえたので、自分のことを言っていることには間違いないとサミアは感じ、思わず歩みを止めた。
そして声が聞こえた斜め後方を振り返る。

「やっぱり。五年前にこそこそ逃げ出したかと思えばまた帰ってきたのね?あなたも諦めが悪い人ですこと・・・あ、人じゃなくて半人でしたわね。御免遊ばせ」

口を開くなりの失礼な言動、サミアは学院で一番会いたくない人物に会ってしまったなと思わず溜息をついた。
誰もが羨むような美しい明るい栗色の髪を肩に垂らし、上等な絹の衣服に身を包んだ、ストラスクライド魔導貴族の中でも有力な家門の一人娘。
魔導士の血統を持つ魔導貴族は、魔導を使えぬ者は格下であると考える傾向がある。
そして、エルフに対する嫌悪感も貴族の間には受け継がれていた。
ブロスリアンド開拓時代、エルフが張った結界に対して魔導で対抗したものの、全く効果がなかったための逆恨みである。
この典型的な魔導貴族的性格を持った少女は、七年前サミアと同時に入学してから何かというとサミアに因縁をつけてきた者だった。

「今はどちらにお住まいなの?勘当された身ではたいした家に住むこともできないでしょう、お可哀想に。一応魔導貴族の血を引いてらっしゃるというのにね」

顔が笑っているので、本当は可哀想と思っていないということが表情にありありとしている。
立ち止まらなければよかった、とサミアは後悔した。
無視してそのまま立ち去るのもいいが、そうしたらその報復として廊下に響き渡るこの少女の甲高い声で自分の過去を話されることが目に見えている。
興味を引かれたらしい他の学院生が三、四人自分たちの周りに集まってきているので、この勢いで彼女の話をされたらたまったものではない。

「ハァ・・・それでヴェリーネ、何が言いたいのよ」

サミアがやっと返事をしたことに満足したのか、ヴェリーネは得意気に鼻を鳴らして答えた。

「あなたのお母様、再婚されたのよ。知らなかったでしょう。お相手は・・・・・・」

ヴェリーネの言葉に心臓が飛び上がるほどの衝撃を受けたことをサミアは感じた。
相手が誰なのかというのは耳に入らなかった。
最後の母の姿はサミアがまだ十歳の時・・・即ち魔導学院への入学と同時に永遠に顔を合わせないことを誓った時である。

「ちょ、ちょっとお待ちなさい!」

サミアはもはや他の物が目に入っていないといった様子でふらふらと歩き出した。ヴェリーネの張り上げた声も全く耳に入っていないようである。
教室へ行かなければならないのに、廊下の途中にある西棟の裏庭へ通じる道へ出る扉を開いた。
そこは、以前学院に通っていた2年間、サミアが一人になりたい時によく通っていた場所である。
中庭に比べるべくもないほどに狭いので、学院生はあまり裏庭には好んで入ることはしない。皆日当たりの良く広い中庭の方を選ぶ。
しかしサミアは、人の多いところへ出ることがあまり好きでない。
なので好んで裏庭へ通っていたのだ。

背の高い樹木が柵代わりに庭を囲み、木製の椅子二脚と机が置いてある。
ちょうど裏庭を見下ろすように日が昇っており、ここで日光浴をするには最適な時間帯であった。
サミアは久しぶりの裏庭の椅子に腰を下ろすと深い溜息をついた。
心の奥に封じていた気の強く優しい母の記憶が、サミアの中で激しく駆け巡っていた。









見知らぬ男性たちに母親とともに母の実家へ連れて来られた際の恐怖は、今でも忘れることはできない。
それまでブロスリアンドの森の奥深く、小さな家で父、母、サミア三人だけで暮らしていたためか、初めて見る貴族の家はそれだけで小さなハーフエルフの少女を威圧する雰囲気を持っていた。
すがるようにして掴んでいた母の手は、微かに震えていたことを覚えている。
無駄に大きな両開きの扉の向こうにいたのは、母と同じ―サミアとも同じ、鮮やかな赤色の髪をした初老の男性であった。
それが母の父親であることは幼いサミアにも容易に推測ができた。
だが、髪や顔立ちが母と同じであっても違うものがあった。
それは、数年間この家の中で幼いハーフエルフの少女を苦しめることとなる、「魔導貴族」としての性質だった。

「エルフなどとの間に子供なんて作りおって・・・お前は一族の恥晒しだ」

母の父親の第一声だった。

「・・・それならほっておいてくれればよかったのよ。恥晒しとまで言うなら、私という娘はなかったことにすればよかったじゃない!」
「たいそうな口を聞きおって。その口の悪さもエルフに仕込まれたのか?・・・お前はメレーネ家の一人娘だ。後を継ぐのが当然というものであろう」
「口の悪さは昔からよ。エルフを好きになって何が悪いの?とにかく、私は家を継ぐつもりはありません。早く帰して」

母と、サミアにとっては一応祖父にあたる男性が言い争いをしているのをサミアはただ見ているだけだった。
不安だったのでよりいっそう母の手を強く握って、「おうちにかえりたい」と願っていた。

それから幽閉状態の生活が続いた。
食べるものには困らないが、一日中同じ部屋に閉じ込められた状態で何日も、何月も、何年も過ぎていった。
母が一緒にいたことがまだ救いだったのかもしれない。
一度祖父に命令されたらしい家来がサミアを母から引き剥がしにかかったが、強く抵抗したために諦めたようだった。
目障りなハーフエルフの子供を早く追い出してしまいたい、それが祖父の思っていることだったのだろう。
しかしサミアにとっては異国であるストラスクライドで、一人この家から追い出されたら何ができようか。
まだ五歳に満たない幼い子供が一人で、大人の足でも一月はかかるブロスリアンドまで帰ることができるわけがない。
野盗に襲われるか野たれ死ぬか、先は見えている。
だから母はサミアを離さなかったし、サミアも具体的にそこまでは判っていなかったが母とは離れたくなくて留まり続けた。
何度も一緒に逃げようと母は計画を練っては実行に移したが、結局はいつも捕まって元の部屋に戻されるのだった。
一人のエルフがこの館に襲撃してきたという話が、二人の耳にも入ってきた時があった。
それが父であることは、サミアにもすぐに判った。
大怪我を負わせたがあと一歩のところで逃げられた、と家来が悔しそうに話しているのを扉に聞き耳をたてて知った。それがおそらく致命傷であるということもそれで知って、母と二人で泣いた。

何も変化のない幽閉生活に転機が訪れたのはサミアが十歳になった時のことだった。
幽閉されつつも、サミアは母に習って魔導の初歩を学んでいた。
魔導貴族の家系であるだけに、もちろん母は魔導に通じていた。その血を引いているサミアであるから、呑み込みは早かった。
それに目をつけた祖父が一つの条件を出してきたのだ。

「そのハーフエルフを学院へ入れてやろう。条件付きでな。このメレーネ家と関係を断ち切ること・・・即ち母であるお前と二度と会わないことを条件に、だ。そしてお前にはわしの決めた相手と再婚してもらう」
「そんなこと認めないわ!私はあの人を愛しているもの。再婚なんてしません!」
「フン、どうせもう死んでおるに決まっている。いいのか?このハーフエルフをこのまま狭い部屋の中に閉じ込めておいて。お前だってもっと環境のいいところで勉強させてやりたいと思っているのではないか?金は出してやると言っておるのだぞ。二度とは会えぬことになるがな」

母がそんなことを認めるはずがない、とサミアは信じていた。
しかし、数日間悩んだ様子の母の口から出た言葉は、サミアの予想とは反対だった。

「サミア・・・学院へ行きなさい」

サミアは反射的に「イヤ!」と叫んだ。母と祖父の会話を聞いていたので、学院へ行くことがどうなることなのかは簡単には判っていた。
だが母は頭を横に振るばかりだった。

「なんで母さん?!私イヤだよ!母さんと離れたくないっ・・・」

母の胸に飛び付いて、サミアは涙ながらに訴えた。
自由になりたいという思いはサミアの中にはあった。しかし、その自由は「母と一緒に自由になる」ということであり、自分一人だけがこの家から出ることでは決してなかった。
この家は大嫌いであった。サミアは幼いながらも心の奥で、自分が邪魔者であることは感じていた。
エルフに対する嫌悪がこの家の中で溢れていたし、自分に対する陰口を耳にすることも少なくなかったからだ。
だが母がいることでサミアは救われていた。自分を愛してくれる存在がいるから、この家の中でも無事に生きてこられたのだ。
学院へ行くことになったら必然的に独りになる。頼れる人は誰もいない。
それはサミアにとって恐怖以外の何者でもなかった。

「サミアと別れるのは母さんも辛い。でもね、私のせいでサミアの成長を妨げるようなことはしたくないの。二度と会えないなんてことはさせないわ。そんなのは私たちでぶち破ってやりましょう。再婚相手なんて連れてこられたら魔法の炎で焼いてやるわ。ね?だから泣かないで・・・」

母はサミアの頭を優しく撫でながらそう言った。

「サミアは独りじゃないわ。傍にいることはできないけれど、私も・・・父さんもきっと見守っているから。辛いこともあるかもしれない。でも、自分の信じる方向へ行きなさい。挫けそうになった時は休んでもいいから、自分の正しいと思った方へ行きなさい」

頷いて母を涙目で見上げると、サミアの好きな母の屈託のない笑顔があった。
















裏庭を囲んだ木の隙間から流れ込んできた、草の香りのする風がサミアの髪を攫っていく。
母と別れてから七年、何をしていたんだろうとサミアは思った。
学院に入学してから、必死になって魔導を学んでいた。
ある事件が起こって、サミアが自分から学院を去るまでは。
サミアがメレーネ家の血を引いていることをどこからかで知った学院生が、母のことを侮辱したのである。
『エルフと子供作るなんて気違い』だと言い、ストラスクライド魔導貴族の恥だとサミアの目の前で唾を吐き捨てたのだ。
それまでも散々ハーフエルフであるということで陰口を叩かれたりしていたが、我慢の限界だった。
母を侮辱した相手に、サミアは魔法を使ったのである。
咄嗟に相手が魔法に対する防御を高める魔法を使用したので大惨事には至らなかったものの、魔導貴族である相手側の親はサミアを許さなかった。サミアがハーフエルフであることは、彼らの怒りを増長させた。
原因は相手側にあったということでサミアは数日謹慎するだけで済んだのだが、怒りに任せてもう少しで人を傷つけるところだったことに恐怖を憶え、謹慎中に学院の寮を抜け出してブロスリアンドへ戻ったのである。
途中で野盗に襲われかけたところを『アーク』のメンバーに助けられて、そのまま『アーク』に世話になることになった。
『アーク』はサミアにとって居心地が良かった。父、母以外で初めて親しい人ができた場所である。
新しい居場所を見つけたサミアの中で、次第に母のことや学院のことが薄れていくような気がしていた。それは辛いことを忘れたいという願いからきた、単なる思いこみであったが。
心の奥底では、ちくちくと針で突付かれたような痛みが常にあったのだ。それを隠すように明るく振舞い、笑うことで忘れようとしていた。

「私って本当今まで何やってたんだろう・・・ただ逃げることだけしか考えてなかった」

休んでもいい、と母から言われたからといっても、休んだというより逃げただけとしか思えなくてサミアは自分で自分を責めた。
何気なく、腰に吊るしてある布袋から薄桃色をした透明な石を取り出す。
魔導学院へ行くことをウォルコットに告げた時に貰った紅水晶である。

「でも・・・今度は頑張るって決めたんだから。母さんが再婚したっていうのも何かあったに違いないわ。ヴェリーネの言うことをいちいち気にしてたってしょうがない。とにかく私は魔導を勉強しに戻ってきたんだから。そしてウォルコットをビックリさせてやるって決めたんだから・・・母さんにも絶対会うんだから」

自分に言い聞かせるようにサミアは独り言をしていた。少しでも動揺を落ちつかせるように。
紅水晶を出したのも、ウォルコットに励まされているような気がするからである。
このような桃色の水晶があることはサミアは知らなかった。
宝石の類とは無関係の生活を送ってきたのでそれがどれほどの価値があるものなのかは判らない。
しかし金銭的な価値よりも、ウォルコットに貰った、ということの方が大切だった。
それだけで、親しい人が誰もいないこの学院でも心細くならずに済みそうだったである。


紅水晶を両手で包んで眺めていると、サミアの背後で何か音がした。
足が土を踏みしめる音が、規則正しく聞こえてくる。
サミアは以前学院にいた時、自分の後から人が裏庭へ入って来ることは一度もなかった。なのでこれは予想外のことであった。
誰なのだろう、と素朴な疑問が頭の中に浮かぶ。裏庭へ行くということは相当な変わり者であると見られるのが学院の中で常のことだった
西棟の扉から裏庭に至るまでの間は木に囲まれた細い道で繋がっている。
やがてその道の終わりである裏庭の入り口に黒い影が先に見えた。
人に会いたくない気分であるからこの裏庭へ来たのだが、自分と同じように裏庭へ来る人物はどのような者なのか知りたくなり、サミアはその人物が現れるのを静かに待っていた。




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